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普通自動車運転免許を取得してから、早7年。
二度の免許更新を経て現在に至る、美留の運転遍歴と超個人的ドライブ観についてダラダラと書きます。

思い起こせば8年前。ワシがまだピッチピチの十代だった頃、とある事情より運転免許の取得を目指すことと成った。
ただ単に、劇団
*注1の公演で使う「アシ」が欲しかっただけなんだけど。当時は免許を持ってる劇団員が一人もいなかったんで、大道具を運搬すること等考えて「一番免許欲しがってたヤツ」つまりワシが免許取るべく教習所へ通うことに。
しかし、すんなり取得、というワケにはいかなかった…。結局、9ヶ月かかって免許を取った時には公演期日ギリギリで、「大道具の運搬」には間に合わなかった(んだと思う、ここんとこうろ覚え)。

ワシが免許取った頃、我が家の自家用車は「日産サニー・エクストラサルーン」とかいうセダンタイプの乗用車だった。緑色のような銀色のような、兎に角珍しい色の車で、そこは持ち主である父親の趣味が存分に丸出し。この御方はまぁ珍らし物好きというか派手好きというか、毎度車の色が微妙なセンスをしてるですよ(それを作ってる方々には申し訳ないのだが)。

その、その、親父の愛車をだなぁ、ワシは見事に廃車にしてしまったのだーーー!!!…ごめんおとん。

免許取ってまだ間もないクセに、運転に対する妙な自信があった(ように錯覚していた)ため、車一台がすれ違えるかどうかという細い道に入ってしまったのが運の尽き。タイミング悪くやってきた対向車を避けようと思い切り左に寄ったところ、車幅感覚が掴めず脇にあったブロック塀に特攻してしまったのだった…。
結局、前輪のシャフトをブチ折る大惨事となり(それでも家までの2キロを自走)、敢え無く廃車となってしまったサニーちゃん。

が。その直後、ワシは学校
*注2のカリキュラムで中国への短期留学が決まっており、そのまま逃げるように北京へ飛び立ってしまったのでした★うわーサイテー。

サテそれから。
ひと月半の短期留学が終了し、フェリーに揺さぶられて上海から大阪港へ到着した時、迎えに来た親の乗ってきた新車が「日産ラルゴ・ハイウェイスター」(1998.8〜2000)。…一瞬我が目を疑うそのデカさ。つーか四人家族(しかも全員揃っての家族旅行ももうしないお年頃)にワゴン車はいらんやろ!!!
どうやら「子供と一緒にアウトドアな感じのワゴン」に乗るのが父親の長年の夢だったそうで、それを叶えてしまったということらしい。キャンプに行く氣も、はしゃいで乗り込む子供もないのに何やってんだか。
おまけにこの車がまた派手なこと。フェリー乗り場に横付けするなり「カッコイイだろ?」とのたまったうちの親父殿…。齢六十に手が届かんとするあの頃のオヤジには、ちょっと…似合わないかな、って…思ってしまったのはここだけのヒミツだ。

ラルゴに乗り始めた頃、大変使い勝手のいい地図と出会う。
赤い表紙の『まっぷるリング関東版・関西版』(現在絶版)。
まずページ毎の縮尺が大きいのでかなり細い裏道でも結構載ってる。道路表記がカラフルで番号も見やすい(地図の変わった今でも国道を赤い道、県道を緑の道、市道を黄色い道と呼んでしまうほど塗り分けが解かりやすい!!!)。助手席に放っぽってもリング式だと開きっぱなしで閉じない。それまで使ってた地図は手を離すとパタンと閉まっちゃう糊付けタイプばっかだったので、そこが一番気に入った点かも。
この地図のおかげで、特に千葉県内の主要道路はほぼ完璧に脳内地図としてインプットされたわけで。イヤお世話になりましたまっぷる。
今使ってるのもまっぷるリング(紺表紙)だけど、やっぱり「赤表紙のまっぷる」が一番良かったナァ。ランドマークになるGSの名前が間違ってたりコンビニの位置がずれてたりしたけど。ページ番号まで覚えちゃったんだもんな、余りに多用しすぎて。

さて。
ウチのラルゴには、所謂ローカルルールと呼ばれるものがあった。
即ち、「後部座席は土足厳禁」。オイオイ…どこのDQNだよ。まぁ確かに、後部座席は足伸ばしてのんびり王様気分、っていう座席広さがウリの車だったわけで、そうなると靴なんか脱いでしまった方が楽っちゃ楽ではあるんだけど。いちいち靴脱いで上がって、靴はいて降りて。タイヘン面倒だった…××
しかもそのためだけに、靴入れ用の箱とか買っちゃったもんなぁ。よっぽど嬉しくって大切だったんだろうなぁ。一回ケツぶつけちゃったけど。

それだけ大事に使ってたラルゴだったが、結局車検切れと同時にサヨナラすることになってしまった。確かに運転席が高くて見晴らしはいいし乗り心地は最高だったけど、やっぱデカすぎるもの。一人や二人で乗るのに適した車とは言い難いし(燃費悪すぎ)。三年間だけでも夢を叶えられて、親父も一応満足したらしい。

そうして、車検の期限が来たのをきっかけにラルゴから乗り換えたのが「日産ウィングロード」(2000〜現行車両)。
今までの車は「父親の車」だったんで散々乗り回してやったんだけど、この車は「次兄名義」。なので、ワシはこの頃からしばらくの間、車に乗らなくなってしまった。だってこすったら殴られるしぶつけたら殺されるし(と危惧していた)。
そのまま半年くらい、全くハンドルを握らずに生活しておりました。

ところが。
車が変わった頃に父親の仕事も変わり、職場へ行くのにこのウィングロードを使うことに。そうなると、母やワシが「ちょっと買い物」「駅まで兄貴をお迎えに」と気軽に車を使うわけにはいかなくなってしまった。
それを見かねたオトウサマが「やっぱり中古でもいいから一台買い足そう」と大決断。国道16号線沿いの中古車屋で見初めた軽を即購入という運びになり、うちにきたのは「三菱ミニカ」(2001.01〜2004.09)。

8ヶ月を迎えた頃のミニカ。
時速140キロで走る白い妖精
2001.10(千葉県銚子)

営業車仕様で何にもついてない(オーディオはラジオだけ、シガーソケットない、パワーウィンドウもオートアンテナもなく全てが手動、おまけにキーレスエントリーどころか集中ロックすらない!!!ないないづくし!!!)大変シンプルな造りの上、販売時の総走行距離僅か2kmの「新古品」という括りで、これがタイヘン安かった(それでも自分で買える額ではなかったが)。
車体が安かった分でオーディオをMDに乗せかえてもらって、このミニカは主にワシの「オモチャ」になりました。
2004年9月の大雨で水没し廃車になるまでの三年半で、走った総距離74770km!!!その間、神戸・大阪まで4往復、名古屋へ1往復!!!アホか!!!

ちなみにワシの中ではこの「ミニカ」の「××カ」という響きがオンナノコっぽかったのでヲトメ扱いしてたけど、普通可愛い乙女は時速140キロで走んないわなぁ。
この、県内を縦横無尽に疾走する白い妖精ミニカのおかげで脳内地図がどんどん補填されていき、今となっては地図なしで千葉県内及び茨城県の一部を走れるほどになりましたとさ。何やってんだか。

三菱車だから云々…って言いたくないけど、丁度ミニカに乗ってる間に例の「欠陥リコール隠し・三菱車炎上事件」が起きたもんで、また、家から一番近かった三菱モータースY店の接客が最悪だったのもあって、別会社への乗り換えも視野に入れていたところ…

2004年秋、集中豪雨に降り込められ、まさかの水没!!!

いやぁ国道が50センチも冠水してるとは思わなかったんだよなぁ。知らずに深い水溜りへ突っ込んでしまい車内に大浸水!!!ペダルに乗った右足の足首が浸かるほどジャブジャブ水が入ってきてパニック!!!しかも、どんなにアクセル踏んでも車を取り囲む水の抵抗が強すぎて全然進まない!!!あれは本当に怖かった…(((゜д゜;)))ガクブル
仕方なく、来た道を10キロほど引き返して『道の駅多古』に車を停め、車内にたまった水を紙コップやらジュースの缶やらで掻き出すとゆー地道な作業を真夜中までやって何とか車内水槽状態を脱し、エンジンが止まりやしないかとビクつきながら恐る恐る家まで帰ったのだった…。

この大惨事を、いつもうちの車を(会社選ばず)見てくれる日産のオジサンに相談した所、水没車はあとから意外な故障を起こすことがあるとの事で(特に電気系統の部品が中でゆっくり錆びていってショートしたりとか)「いつ故障するか心配しながら水没車に乗り続けるより、車買い換えた方がいいですよ。車内もシートが水吸って泥臭くなってるし」ってまぁ営業活動なのは解かってるんだけど。
最終的には「いつも日産さんにはお世話になってるし…」って理由で水没ミニカを廃車にして、新車購入に踏み切る事に。三年半の間、旅の道のりと苦楽を共にした愛車を手放すのはかなり切なかったけれど、これも運命だったんだろうか。
本当は、この先車検を何回も通して、走行距離10万キロ超えするのが夢だったんだけどな…。ワシの一瞬の判断ミスで水没・廃棄されてしまったミニカ。
長い間ワシらの思い出作りに貢献してくれてありがとう、と、今はもう届かないその言葉をどこかで眠る彼女に贈る。

そうして彼女と入れ替わりにやってきたのが、現在ワシを支える「日産モコ」(2004.10〜現行車両)であります。
今度は「モコ」の語感が「もこみち(速水もこみちくん)」に似てる、というだけの理由でワシらは意味なく「もこみち!もこみち!」と呼んでおります。もちろんヲトコノコ扱い。

ミニカに乗り始めた時も誓った事なのだが、

車自体が「もうダメ」って音を上げるまで、事故らないよう気をつけながら大事に大事に乗るぞー!!!

今度こそ。
目指せ、10万キロ!むしろメーター一回転!!!

もこみち。現在6ヶ月
もうすぐ1万キロ達成
2005.04(茨城県大洗)

*注1 高校卒業後の数年間、美留は演劇部の後輩たちと共に立ち上げた「劇団東桜花」というアマチュア劇団に所属していた
*注2 同じく高校卒業後、芝居をやりつつ中国語の専門学校に三年間通っていた…二年で良かったはずなんだけどorz

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